5月18日
今思い出しても心がざわざわ
久しぶりに訪れた高野山
以前訪れたのは20代
雨の中の奥の院
っていうかただただ沢山のお墓のイメージ
そしてごま豆腐…
怖くて美味しいイメージ(笑)
快晴のこの日
そのイメージはなく(美味しいは後で堪能するが)
お墓という個々ではなく、もっと別のもの達
そして巨樹の偉大さばかりが目についた
巨樹だけではなく、巨樹から降るこもれびに輝く苔や花たち
きれいを通り越して…なんなんだろう?!
普段は神社やお寺の境内では写真はめったと撮らないけれど
どうしてもこの樹たちを撮りたかった
奥の院をお参りしおえたら
頭や体の中がパンパンになって
どうしたものかと戸惑ったけど
ごま豆腐や美味しいお餅
金剛峰寺を堪能して洗い流しました
形あるものはいずれは朽ちてゆくもの
人はなぜお墓を建てるのだろう
今まで生きていた人のお墓がすべて残されていたら
きっと今頃人が住む場所なんてないだろうね
今生きている私たちの記憶には残っていない沢山のいのち
お墓にも残されていないいのち
かけがえのないいのちの上で生きている私たち
高野山の沢山のお墓
親類縁者以外の人にとって
今まで生まれて消えていった
すべての命を感じ感謝するためにもあるのかな
そして樹々たちは
そんな私たちを静かに叱咤激励しているのかな